この記事では→「俳優・声優になるために才能は必要か?」
「才能」の必要性について言及しました。
はっきりとこの世界でやっていくためには「才能」という切符が必要だとこの記事では大塚明夫さんの言葉を借りて結論を出しています。
一方で中にはそこまで才能や適性というのは求められず、本人がやりたいと希望して、ある程度真面目に取り組んでくれさえすればOKという業界も存在します。
この違いは何なのか?
今回は同じテーマでも別の切り口から書いていきます。
これを考えた時に市場規模の大きさというちょっとしたビジネス視点が関わっていきます。
もう一つ、このブログで肝に銘じておけと訴えていることに「需要と供給のバランスの悪さ」を挙げています。
「需要と供給」これもビジネスではよく使われる言葉ですね。
多くの俳優・声優がまともに稼げていない原因に、この需要と供給のバランスがあまりにも悪いと何度も書いてきました。
そう言われた時に「なるほど、だからか!」と残念な現実とはいえ納得してくれる人も多いと思います。
わたくしもこれを聞いて渋々ではあるものの、一番納得できる理由ということでストンと腹に落ちました。そういう事情ならいくら個人が努力だけを積み重ねても報われることも稀だと。
そもそも根本的に需要が少なすぎるのであれば、いくら必死に努力して腕を磨いても誰も必要としてくれる人などそう簡単に現れてはくれませんよね。
だから必然的にこの世界で稼いでいくレベルに達するためには大前提としてずば抜けた「才能」というものがどうしても必要となってくるのです。
例えば、誰からもまだ教わっていないのにもうそんなレベルの演技ができるの?と唸るくらいに。
需要が「1」しかないのに供給できる数が「100」あれば当然その中から選ばれた人は抜群の才能と容姿を兼ね備えたスペシャルな人材に決まっています。
100人という選択肢の中から1人を選んでくださいと言われているのに、まさか中途半端な人を選ぶ理由などはどこにも見当たりません。
では、その才能などはあまり求められない業界というのはもうお分かりだと思いますが今度は逆に需要はあるのに供給が追いついていないということになります。
需要は100あるのに供給できる数が80しかないのであれば、人を選ぶことはできません。とりあえず希望者全員を受け入れて、その仕事をやらせるような所もあるでしょう。
こうなってくると中には、なんでこんな人がこの仕事をやっているの?と疑問に思えてくる人も混じってくるわけですね。
学校の先生なのに生徒にセクハラをした人、警察官なのに窃盗をした人などはまさにその適性が疑われると言われても仕方がありません。
子供たちに教育をする立場の人間が、犯罪者を取締る立場の人間が犯罪を犯す、こんなことはあってはならないことです。
が、実際にはそんな悲しい例が何度も起きています。
こういう人が時に現れてしまうのも、社会的には学校の先生や警察官は必要とされている立場の人なのである程度の需要があるからです。
ちなみに俳優やら芸能人が何かしらの犯罪を犯したというニュースも度々聞かされますが、この場合は芸能界というのは普通の社会人としてやっていくのが難しいそうな人がやって来る世界だとも言われているので人間として真面目すぎる人はあまり向いていません 笑
最近はクイズ番組などで高学歴の人が求められているので、社会人としてもやっていけそうな人も出てきていると思いますが基本は集団生活に向いていない、個性が強すぎる人の集まりが芸能界なので、ちょっと変わっている人、非常識な人というのもこの世界では居場所があるということになります。
芸能人が色々とやらかしてしまうのはある意味、しょうがないと思っていただければw
そういう危ない世界という側面もあるのでこの世界に入りたいと希望する人を、まるで入ることを阻んでいるかのような酷い扱いをまずはしていきます。
普通は新しい子が入ってくるのなら歓迎されるのですけどw
先輩のパシリやギャラが安すぎる、最悪の場合はノーギャラ、給料が支払われない、まともな感覚ならこんな世界やってられるか!と思うところを、どうやらそれを受け入れてまでも挑戦したいと奮起する人が一定数いるのが冷静になって考えてみると不思議なものです。
新参者は基本的に歓迎されていない、それがこの俳優・声優業界とも言えるので、それでもやっていきたいと言うのであれば余程の逸材でないと無理だとこのことから言えるでしょう。
なぜこの世界で成功するには「才能」が必要なのか?
それは市場規模の小ささから、まともな報酬が入ってくる仕事が少なすぎるので、そうなってくると才能がある、何かしら飛び抜けた人を惹きつける魅力がないと選ばれることがないからです。
スーパーやコンビニであればわりと早く慣れる業務やレジに立って接客をするだけで働いた時間に応じたお金が貰えますが、
俳優だと午前の10時から稽古がスタートして、終了が夜の10時、そんな毎日が約一ヶ月間続いても貰えるお金は無しなんていう場合も珍しくありません。
かけた時間・労力という意味ではコンビニやスーパーの業務と比較にならないほど過酷です。
なのに報酬は無し、この世界で報酬が貰えるようになるまでにはとても高いハードルがあるのです。求められていることが高すぎる、それは単純に時間をかければ、体を動かせば良いというものでもありません。
誰もが一度は憧れる、やりたがる仕事は需要が少ないのに供給は多すぎる、誰もやりたがらない、避ける仕事は需要があるが供給は少ない、こういう風に言い換えることもできるかもしれませんね。
後者の世界ほど何とか給料上げたり待遇を良くして人を集めようと努力しますが、前者の世界はそういう努力をしなくてもやりたい人はたくさんいるので待遇、給料は良くならない、だから声優・俳優の給料はあまりにも安すぎるのでしょう。
最近の飲食店は一度コロナ禍で従業員を解雇してしまったのでまた人集めに必死で、時給が1800円なんて所もあるようです。
介護士や看護師という今後さらに必要とされる職業なのに、給料が安いということで賃上げをするという動きがあります。
しかし俳優・声優というのは給料が安くてもやりたい人はたくさんいるので、そういう動きが鈍いというわけです。
そこまで数は必要とされていない以上は、なかなか飛び抜けた才能がない人は難しいというお話でした。
では今回は以上になります。最後までお読みいただきありがとうございました。
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