声優・俳優・芸能人を目指すも正直、行き詰まりを感じている。このままできる事をやり続けても道が切り開かれるとは思えない・・・けど・・・
こう思うも、だからといってスパッと諦められる人は多くないと思います。
理由としてはもしもその人が高校卒業後、専門学校へと入学して卒業後も養成所に入ってそこを出ている。この時点で3〜4年の月日が経っています。お金も何百万と使った事でしょう。
ここまで時間とお金を使ったのに今更、諦める事なんてできないと誰もが思うはずです。
「損切り」という言葉
ビジネスを勉強していると「損切り」という言葉に出会いました。これは主に株での取引きで使われているという言葉みたいですが意味といたしましては・・・、
「今、保有している株をここで手放すと○○万円マイナスで損をする事になるが、これ以上、損失額を大きくしないためにもささっと売ってしまう」
被害を最小限度に抑えようという判断ですね。
そしてこの判断は何も株の世界だけで重要な概念ではなく「人生」においても時には似たような発想で決断した方が良い場面が出てきます。
話は戻り、ではこれを「人生」という大きな枠組みに当てはめると・・・、
「せっかくこの資格を取ったのだから、この資格が生かせる職種に就きたい」
「専門学校、養成所まで出て演技を勉強してきたんだから今更、諦める事なんてできない」
後者の例はまさに最初に触れた話題の例ですが、このように考える人は芸能人を目指す人とか関係なく非常に多い事だと思います。
過去の経験を無駄にしたくない、ここまでかけた時間とお金を無駄にしたくない、これは一見すると自然な考えで、それを生かせる仕事を探しなよと言って他人が見ても特に問題視しないかもしれません。
ただ、この判断に潜むリスクとして「過去」の自分に縛られているという風にも捉える事ができるのです。
基本的に「今」の自分がこれから何に取り掛かるかは自由のはずです。日本は独裁国家ではないのですからインターネット上も含めてかなり自由に行動できます。
なのに「過去」の自分が得た資格や「過去」の自分が全力で取り組んできた事を基準に考えてしまうとその何をするか?の選択肢は途端に一つか二つに絞られてしまいます。
上記の例を見て分かる通り特に後者はもうこの道を進むしかないと、選べる道は一つしかありません。
もう一度言うように「今」自分が何をするか?は基本的に自由なはずです。様々な事情は一旦、置いておけば選択肢は無数に広がります。その膨大な選択肢の中に本当に自分に合った道があるかもしれないのに、その可能性については全く考慮しないとも言えます。
こんな視点で見ると一度、立ち止まって考えてみようとは思わないでしょうか?
やっぱり違ったかも・・・なんて事は人生の中でいくらでもある。
心底これが自分のやりたい事だと思っていたのに、実際にやってみたら「なんか違ったかも・・・」なんて思った事は一度くらいはあるのではないでしょうか?
「自分が本当にやりたいと思うもの」なんてそう簡単に見つからないということです。
わたくしも幼少期からこれをやりたい!と思い習い事に挑戦するもほとんど続かなかったです。
それと将来がかかっている選択を一緒にするのはどうなの?と思うかもしれませんがそんな重みが違う重要な決断であったとしても本質は同じだと思います。
いくら時間をかけて吟味した末の決断であったとしても「やっぱり違うかも・・・」なんていう結果になる事は珍しくありません。
なぜなら私たちってそんなに「自分の事を理解している」のですか?言われたら、
「わかっています!」って断言できる人は少ないのではないでしょうか?
それは先ずは人生の大半を過ごす学校という場ではあまり己を見つめ直す、知るという機会、授業がないのですから当然とも言えます。そんな中で育ってとりあえず学校を卒業したら就職するという世の中の流れだけを認識させて、適当な所に就職してもそれが本当に自分がやりたかった事なのか?と言われたらそうではない場合が圧倒的に多いのではないでしょうか?
実際にやってみないとわからない、見えてこない事もありますし、この選択は間違いでした・・・と言える結果でも何も恥ずかしい事ではないのです。
それがあなたの本当にやりたい事ですか?
自分が今までやってきた過去を基準に考えてしまう、決めてしまうと、
「本当は心の底からやりたい事でもなかったかも・・・」
と思える事までやり続かねければいけない事態が生じてしまいます。
もちろん立ち止まって「今」という自分で考えて、やりたい事は何か?ともう一度熟慮した結果やはり答えは同じ、過去の経験を生かす事ができるという答えに至ったのならそれでなんら問題ありません。
が、認めたくないけど「もしかしたら・・・」と思う節があるならそれをしっかりと直視してください。
わたくしも所属試験に落ちてフリーになってこれからどうしようと考えた時に、ここからでもなんとかやってみせると意気込んだのですが、そこに「どんな状況になっても俳優をやりたい」というような気持ちがあったかと言われたら少し疑問に思っています。
同じようにここまでの経験を無駄にできないという想いが強かったという事ですね。そんな気持ちばかりが先行して「自分にとって俳優とは本当にやりたかった事なのであろうか?」と考えることもしませんでした。
ようやく今になって言えるのですが自分にとって俳優とは「人生の全てをかけて挑戦するべきものではない」という答えを出しました。
なぜそう思えたか?それはこちらの記事で書きました↓
ここで言いたいのは例え全力で打ち込めたものであっても「本当にやりたい事でもなかった、少なくともそれをこれからの人生で捧げるべき存在ではない」という場合もあるということです。
心の底からやりたい事だと思っていたのに、実はよく掘り起こしてみれば違ったという事は全然あり得るとは思ってください。もちろんそうであると納得できたならその道からは身をひいて新しい道を進むべきです。
その先にあるものとは・・・?
自分はかなり演技の分野で専門知識を得たという自負はありますが、それを生かす事ができないのはやはり勿体ないのでは?と思うかもしれません。
が、その道から身をひいて新しい道を進むという事は=その過去の経験が全く無駄になるという意味ではありません。
新しい事をやっていく中でどこかであの経験がここで生かされたという瞬間はいくらでもあります。
元々、俳優時代のアルバイトでも感情表現が豊かにできるようになったおかげで、接客業をする時に無愛想な店員という印象を持たれた事はなかったと思いますし、芝居ができるおかげで「本当に心の底から謝罪している」と思わせて、お客さんを納得させたこともあります。
接客業はある意味、店員は「演技」をしていると言えます。だったら演技の勉強をしていればそれが生かせないはずはありませんよね。
裏方に回ったとしても・・・
わたくしは今は小説家を目指しています。言ってしまえば表に出てくることのない裏方です。じゃあ俳優での経験は無駄になるのかと言われたらそんな事はありませんよね。
俳優、芸能界に身を置いていた時期があるというだけでそれにまつわる物語をよりリアルに描く事ができます。話のネタを持っているという事になります。
分からないことがあったら調べる。この習慣は小説を書く上でも重要になります。台本をもらった時にもまずやる作業として舞台となる時代などを「リサーチする」があるのでこの作業は最初から当たり前のようにできるようになっています。
このように過去の経験や別の分野で勉強した事が、別の世界、新しい道でも生かされる事は絶対にあるはずです。
一見、関係のないものを「点と点を一つの線で繋げる」という意識です。
こんな応用ができる人、それを意識してできる人は全く関わりのなかった未知の世界に足を踏み入れたとしてもある程度はやっていけると思います。
「演技と接客業」「小説と俳優経験」など別の世界のものたちが交じり合い一つになった時、それはきっと大きなエネルギーとなりより広範囲にその影響を及ぼす事ができるはずです。
自分の演技は今まで劇場に観に来てくれた人しか見る事ができなかったが「お客さんに好かれる店員」という設定をして仕事に取り組めば、その好印象な店員はそのお店に来た多くの人の目に留まり、あそこの店員は愛想が良いからこれからはあの店に行こうと思ってくれるお客さんが増えるかもしれません。
それは劇場に足を運んで来てくれた人以外の所で人の心を動かしたと言えます。そして雇っている店側だってお客から評判の良い店員という事で、待遇を上げてくれる事は大いにあり得る事なので演技の経験は生かされたと言えます。
この世界に入った人しか知り得ない事を小説という形で伝えれば、より多くの人に知れ渡りその世界に興味を持ってくれる人が増えるかもしれない、これもより広い範囲に影響を与えると言えるはずです。
「過去の自分」と決別して「新しい道を進む」という事は決してその過去が無駄になるというわけではない、それどころかその過去の経験が生かされたという場面もあり、経験しておいて良かったと思えることもあるという事は知っておいてください。
それはすなわち、どんな経験をしても無駄になるものなんて一つもないと知るということです。
そして人間は過去の自分より大きく成長していくのです。
その決断は一時的には「無駄な事をしてしまった」と思ってもいずれ、新しい経験を積み上げる事によってそうではなかったと気がつく時が来る事でしょう。
コメント
[…] 更、ここまでやってきて、専門、養成所を出たのに・・・という自分なりに積み重ねてきたものを無駄にしたくないという気持ちがあると書きましたが・・・(「損切り」の記事を参照) […]