今回はこの道に進もうとしている人であれば誰もが気になる「私は、僕は俳優に向いているのだろうか?」という点について触れていこうと思います。
やるだけならどんな事であっても誰でもできますが、もしもある程度の領域にまで達したいというのであればやはり向き、不向きというのはあります。
そこで趣味、自分が楽しめれば先ずはそれで良いだけではなくもっとこの道を極めたい、それこそプロになる、この分野で稼ぎたいという心意気の人はこの記事を読んでみるのも良いと思います。それでは本題へいきましょう。
どんな至言を与えても受け取る本人にその受け皿がないと馬の耳に念仏になります。そう結局、行き着くところは『最後はあなた次第』となると思います。同じ人から、同じ時期に、同じ時間だけ指導してもらっていても、ある時からその成長具合の差が歴然となってしまうのはそのところが大きいです。
もちろん成長スピードも人それぞれなので早熟タイプ、晩成タイプといるとも言えますが今までの経験上、本人の自由だから口に出す事はできないけど、この道は諦めた方が良いと言いたくなる人も見てきました。というかそんな人が圧倒的多数だと思っています。成功できる人は極僅かな世界なのでそれは当然なのですが、それでも「どうして俳優になりたいと思ったの?」と首を傾げたくなる人と一緒に演じる事になるとまぁ、ストレス溜まります。そもそも、先ず根本からして向いていない人が俳優を志している現実。そのおかげで「今、芝居をやっている8、9割の人間は辞めた方がいい奴ら」と過激な事を言う人とも会った事があります。
どんな素晴らしいカリキュラムを組んだ学校に通う事になったとしても、その受ける側に適性からして適合していなければ無駄な時間を過ごす場合が多いと思います。ここではそんな技術的な事を教わる前に先ずあなたの、人間性と言ってもいいかもしれません、そこら辺はどうなの?という所を問います。
それを見極めるためにこの人を入れるべきかの試験があるんじゃないの?と思うかもしれませんが、専門学校レベルだと100人近い人数が定員の所が多い上に、その手の学校が今では多すぎるというくらい溢れているので、そんなこの人は俳優に向いているか否か?などを考える前に受験した人はできるだけ多く合格させて学費を回収しないといけないというのが優先されていると思います。
その次のステップと言われてる劇団、事務所が運営している養成所も専門と比べたら門は狭くなるでしょうが、有名どころが運営している養成所も今では人がなかなか集まらないと言われているので昔ほど入りにくいという事はないかもしれません。
笑い話とも笑えない話とも、どちらでも取れる話を紹介すると、とある養成所の入所試験で保護者同伴で来た受験生が居て講師陣を呆れさせたというエピソードがあります。しかもその人の年齢が既に23、4歳だったと聞いた気が・・・何が言いたいかというと受ける人間のレベルもそこまで落ちているという事です(流石にその人は落としたそうですが、それでも数少ない受験者だったらしく悩みはしたそうです)もう昔みたいに養成所を出て所属先を見つけるだけがやり方ではありませんし学校、養成所を運営していくためにも人を選んでいる余裕はないってことですね。
そんな中で、この人は教え甲斐がありそうだと思わせれば、それだけ多くの時間を自分へのアドバイスに割いてくれる事も多々あります。そんな人になるためにも心構えなんかを挙げてみましょう。
心を広く、器を大きく
俳優というのは『他人』を演じます。一人の人間の人生を背負う事になるとも言えると思います。しかし言ってしまえばまさに他人事です。そんな人の人生の一部を舞台の上で、カメラの前で見事に再現しなければいけません。こんな事、先ず他人の気持ちを理解、想像できる人じゃないとできませんよね。しかもそれを体現しろと言っているんですから並大抵の業(わざ)ではありません。
普段の生活でしょうもない理由でカッとなって接客業の店員に怒鳴りつけるような人間が出来る事ではないのは言うまでもありません。向いているというのはたとえミスをしてしまっても人間だから仕方がないよね、自分だってミスをするなど視野が狭くなる事はないし、その日はたまたま機嫌が悪くても怒鳴り散らしたり醜い姿を晒す事はないでしょう。常に多角から物事を見つめて、あらゆる要素を汲み取る。向こうは向こうでそれなりの事情があるという発想、これは役作りにも役に立つ思考です。
それは犯罪であったとしてもです。万引き常習犯をただ批判するのではなく、なぜこの人は万引きを繰り返すのだろう?という発想も持たないといけません。なぜなら犯罪を犯してしまう役にも備えるためと言っていいでしょう。大は小を兼ねると言います、大きい心、広い器を持っていればそれを小さくして心の狭い、器の小さい人間も演じる事はできますが、元が小さい人間が聖人のような優れた人間を演じるのは無理がある、だから俳優は人格者でないといけないのです。
色んな事に興味を持て、無関心ではいない
他人を演じる以上は常日頃から色んなものに興味を持ち体験、経験して吸収して引き出し、ストックというのを持っておかないといけません。役が何かしらの仕事をしている人として自分は経験した事がない職業というのも多い事でしょう。でも俳優はまるでその職で稼ぎながら生活している人にしか見えないと観客に思わせないといけません。
理想はその職業を体験してみるですが、それはあまり現実的ではない。だから俳優は役が与えられていない『待ち』の状態の時でも休んでばかりいずに色んな映画、ドラマ、舞台を観て少しでも役に立ちそうな所はメモするなり、記憶に留めておきます。その中から使えそうなものをピックアップして役作りに生かすという事になります。
そしてそれ以外にも、例えば友達から旅行、イベントに誘われた等、もしもまだ自分が経験した事がないこと、行った事がない場所に行ける機会が巡って来たら面倒だと思わず都合や予算が許す限り積極的に飛び込んでください。もちろん自分から海外旅行へ、ちょっと興味がある事に挑戦するのならなお良い。先に言ったように理想は自身で実際に体験する事です。その回数が多ければ多いほど後々、大きな助けになる時が来るはずです。そんな自分という人間とは別に、なんでも吸収する姿勢を持つ自分も作っておかなければいけません。もちろん『自分』としては興味はない、好きじゃないというのはあって良いです。だからと言ってその分野に関しては全く触れないという姿勢は残念ながら俳優失格です。何も全てにおいて興味津々に接する必要はありませんが、せめて芸の肥やしとしてここは触れてみるかという気持ちはあった方が良いです。
それが一つの『仕事』だと思ってください。世の中の殆どの人は仕事を本音では嫌々やっていると思います。きっと、それこそ俳優のように自らの意志で選んだ職業だったとしても例外ではありません。でも稼がなければ生きていけないのでやっていますよね。その感覚でやればいいと思います。
ただ個人的には経験した事がないことを経験するのが仕事というのは素敵だと思いませんか?そっちの方が絶対に豊かな人生を送れるはずです。役は自分から選べませんし、幅広い役柄を受け入れるためにも、無駄な経験というものはきっと無いと思っています。それがたとえ悲しい事であったとしても。当然ドラマや映画で家族、友人、恋人が亡くなるシーンなんていうのは山ほどあります、そんなここまでの人生経験を総動員して挑むのが俳優の仕事ではないでしょうか。
死ぬまで修行期間は続く
さてさて、きっと下積み時代はこれらの事を心掛けて必死に努力していたと思います。が、もしもそれで結果を見事に残して評価され出した途端に人は浮かれてこれまでしてきた努力を怠ります。一時期あの人、凄い人気だったけど最近は見なくなったねという現象が起きるのはこの驕りが発端ではないでしょうか。それでなくても事務所、劇団に所属が決まったら安心してしまい、気が抜けます。本来はそこからが真価を問われる本当のスタートというのを忘れてはいけません。ちょっとその余韻に浸ったら直ぐに切り替えましょう。
俳優に限らず音楽や画家など、そういうクリエーティブな分野を仕事としている人は特に、軌道に乗ったとしても進化、アップデートを止めてはいけない職業です。「昔は良かったんだけどね」なんて言わせず今、作った作品が最高傑作ですと言い切れるくらいにならないとなりません。
やはり人間、歳を重ねるとどんどん新しい事に手を出す意欲が無くなっていきます。経験した事がないことを経験するのが俳優の仕事だったとしても、一人の人間である以上は俳優にもそれは当てはまります。そういう新しい流れについていけなくなった、時代の変化に対応できていない人達が『老害』と言われる存在に成り果ててしまうのでしょう。一度はブレイクしてもその後もその人気を衰えさせずに長年に渡りその業界に生き残っていくのはもっと至難の技です。ですから本当に生き残りたいのなら歩みを止めてはいけないのです。
過去の栄光にいつまでも縋っているのではなく、絶え間なく次のステージに進む意欲がある人間こそ芸術家、アーティストの理想の姿です。そして我々はそんな人を見てときめいて、その道を志すのではないでしょうか。
ここまで書いて思うのはこれって何も俳優、創作に関わっている人に限らずとも参考になる心構えじゃない?と思うのです。そう、それこそ人間の人生、こう生きる事ができたら良いよねと思うような意識です。経験した事がないことに手を出す、歳をとっても学ぶ意識を・・・。もしかしたら大成功をおさめた経営者なんかも似たような事を常日頃から実践しているかもしれません。僕もこの意識は当然、現在の人生でも役に立っていると言えます。
素晴らしい俳優というのはつまりは人間としても素晴らしいということなんですよね。中には変わった人や常識外れの人もいます。現にクスリで捕まる人が多い界隈というイメージがあります。これはもしかしたら絵空事とも言えるかもしれません。ただ言えるのはそういう常識的な一面と共に、どこか変わっている、もっと言えば狂っている、そういう一面も持ち合わせていないといけないのも事実です。例えばオフでは温厚な人なのに、舞台に立った途端に人が変わったように神々しくなる。このバランスは非常に難しいですね。
ただの常識人で、人間としても尊敬できるだけなら、きっと他の職業の方でもやっていけると思います。それを悪い言い方をすればこの世界では『つまらない人間』
それだったらとても普通の社会人としては生きていけないくらいぶっ飛んだ人の方が重宝される場合があります。人によっては『面白い奴』に見えるからです。そういう人が時に抑制できずに犯罪、不祥事を起こしてしまうのかもしれませんね。
でも、実際に狂気の一面を持ち正気、もっと言えば人間を越えて神なんじゃないかと思うくらい人間として出来すぎている人も少数ながらもいます。そういう人はやはり今でも根強いファンが多くて、第一線で活躍している。
理想は高く持つべきですし、完璧にはいかなくてもこのくらいの意識を持って挑戦しないと成功はないよとは心に刻んでおいて損はないと思います。それを持ってしても報われなかった人もきっといる以上は。
まとめ
ここで今回のまとめ。
俳優に向いていて、成功を収めるためには先ずは人間性が素晴らしくないといけないと言っていいんじゃないないでしょうか。
そこからさらに理想は矛盾していますが非常識な、狂っている一面も持っている。必要な時だけ、舞台に立った時にいきなり豹変してしまうような人ですね。
ただこの両面を必ずしも持っていろとは言いません。希少な人だと思うので。
よく聞くのは人前で堂々と話す事ができるし、その行為が好きである、滑舌が良い、自分に自信を持っている、個性があるなども確かにそうとも言う事ができますがこの辺りの多くは訓練次第で改善できますし、個性というのも自分にしかない特徴というものを誰もが持っていて、それをこれから見つけて自覚すれば良いのです(そういった自分を知るという事も僕が受けてきた教育では行いました)
現に僕は実はこういう道に進みたいと思っていたものの、中学生までは人前で話すのは大の苦手で、避けていました。それでもそこから脱したいという強い気持ちから、なんとか大勢の前で舞台に立つという所まで行く事ができたので勇気を持って飛び込めばそこから変わる事は可能です。
だがこういった心構えは要は普段の生活で何を感じているか、取り組んでいるのかが大切でそこまで教える側は足を踏み入れる事はできません。今回、書いた事を言われなくても実践していたら文句なしですし、もちろんこうした方が良いと教わったら直ぐに変えられるような人も合格です。
日々の生活からでも何かを学べる人、そんな人が稽古場へ行けば必要な技術は自然と身に付いていくでしょう。
では、今日はこのへんで。最後までお読み頂きありがとうございました。
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