【間違った努力?】 演劇における『リアリティ』を履き違えた例

演劇コラム

私のブログでは『リアリズム』演技を推奨しております。簡単に説明しますと欧米で主流になっている演技の考え方で、名前の通り限りなく現実世界に近い、私達が過ごしている日常でも見かけそうな場面が劇中に多いのが特徴です。

具体的なやり方は別途、まとめられてあるカテゴリをご覧ください↓
リアリズム演技の出発点になるマガジンです。

演技上達法〜基礎編〜

これがどのくらい重要かと申しますと、もしもあなたが作った、関わった作品が国際的にも評価を得たいのであれば俳優たちにはこのような演技を実践してもらわないとなかなか難しいことでしょう。

最近だと「ドライブ・マイ・カー」が良い例なんじゃないでしょうかね。あれも観た人は分かると思いますが作品全体が「リアリティ」を追求している作りになっている印象を受けました。

が、なんでもかんでも『リアリティ』を追求してしまったがゆえなのか「それは違うだろう!」とツッコミたくなる例を一つご紹介しましょう。

舞台でこんなシーンがあったそうです。
登場人物の一人が雨が激しく降っている外から家に帰ってきます。部屋に入ってきたらタオルで頭などを拭く流れなのですが、なんと俳優自身が全身びしょ濡れで登場してきたそうです。

おかげで舞台上は水滴で濡れていて、これを全公演でやったそうです。当然、公演が終わるたびにまたセットなどを最初の位置に戻さないといけないわけですが、その度に床を拭かなければいけないという作業が増えた上に、俳優の衣装も夜の回もあるなら急いでドライヤーで乾かさなければいけないという・・・。

こんな話を舞台監督さんから聞いたのですがゲネプロでこれを見た時に正直「そんなことまでしなくていいだろう」と内心、思ったそうです😓 しかしどうやら演出家の指示でなるべくびしょ濡れになれと言われているそうだったので止めた方が良いとは言えなかったそうで・・・。

これの何が駄目かって、いくらリアリティを追求しているからってそれでも虚構の世界であることを忘れるなってことですね。ってか舞台監督さんの第一印象通りに手間を考えろってことだと思います 笑

毎回、舞台上を濡らすなと、前のシーンでも着ている衣装を終盤で濡らすなと、そういう意味で「それは違うでしょ」ってことかと。せいぜい髪の毛を霧吹きで濡らすくらいじゃないですかね〜。お客さんだってそこは濡れて帰って来たんだってことはBGMで雨の音はずっと流れているし、頭を拭く動作であったりで理解してくれます。なのに実際に大雨に打たれたように濡れる必要がどこまであるのか?

もちろん、一回くらいタイミングが合えば雨に打たれて濡れている服を着た状態とはどんな感じなのか?を経験するのはありだと思います。それを体験できたらあとは「感覚の再現」で毎回、舞台上でその時、感じた気持ちを蘇らせればいいわけです。これをせずに本当に濡れることで済ませていると逆に俳優としてどうなの?と問いたくなりますね。ある意味、演じていることを部分的に放棄しているので。

これ、なんかの本で読んだことあるのですが、
台本で海辺のシーンがあったら舞台上に砂を敷き詰めるのか?

これも演劇におけるリアリティを履き違えた時に分かりやすい例えとして書かれた文章だと思われます 笑

映画であればこういう時、実際に俳優は濡れるのでしょうが舞台は一つの場所で全てのシーンを行わなければなりませんのでどうしてもその都合で「ここは今は病院」などと色々と思い込んで演じる必要があります。

そんな中でどこまで「本物」を使うべきなのか、その線引きを誤らないようにしていきましょう。

俳優の仕事は周りを、外見を本物で固めていくことではなく現実世界でも実際に行われているやり取り、会話、場面を、一人の人間を舞台上でも再現することです。

最後に余談・・・。

そんな外見をこだわり過ぎたために失敗した例もあります。ある知り合いの舞台が前回よりつまらなかったという感想が多く評判がイマイチだったそうです。

そこで公演後の反省会で「原因はなんだ?」と話し合って出した結論が・・・、

今回は衣装、小道具製作に時間をかけ過ぎて演技の方が疎かになった

だそうです・・・😅

やる以上はなんでも手を抜きたくないのは分かります。しかし俳優の仕事は先ほども言ったように外見を整えるのではなく人間の心を演じる、再現することに集中することです。

殆どの公演はお金がなく出演者が演技に、役作りに専念できる待遇であることは滅多にないとはいえ、そこはやはり私達は小道具・衣装の専門スタッフではないと自覚して、どこまで時間をかけるのか?その線引きも誤らないでやりたいですよね。

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