【実力はあるはずなのになぜ報われない?】 絶対評価と相対評価の違いを理解する

演劇コラム

私が俳優・声優を目指すと決めた時に勘違いしていたことがありました。

それが・・・、

実力さえ付ければ、認められたらこの世界で成功する、

と。この世界は非常には厳しいと言われるけど、それは求められる技術・演技力が高いからであって、その基準を満たせれば成功するはずだと

一見、それって間違っているの?と思われるような考え方かもしれません。

しかし、この考え方にはこのようなニュアンスが強かったと今では思っています。

それが、

絶対評価

という考え方です。

この『絶対評価』という言葉は聞いたことがある人も多いでしょう。中学校の成績の付け方として採用されているからです。

この考え方の特徴といたしまして、
ある明確な基準を満たせば「絶対に」該当する成績を付ける、または合格させるです。

テストで90点以上を取れば絶対に成績「5」を付ける、80点以上の点数を取ればその試験に絶対に合格する、

といった具合です。

さて、この言葉が来たらやはりこっちの方も連想をしないでしょうか?

それは、

相対評価

ですね。
こちらも同じくかつて中学校の成績の付け方として採用されていたやり方です(2002年頃まではこの方法であったが現在は絶対評価が主流とされている)

この「相対評価」の特徴といたしましては、

全体の何割かに該当する成績を付ける、または上位何名を合格とする、

みたいな感じです。

中学校の成績の付け方が「相対評価」の場合は以下のような割合で成績が付けられていたとされています。

成績「5」は全体の上位7%につける
成績「4」は全体の24%につける
成績「3」は全体の38%につける
成績「2」は全体の24%につける
成績「1」は全体の下位7%につける

もっと分かりやすく言えば、ある試験があったとして、
この試験はテストで点数が上位10名の方を合格とします、

ということですね。

この両者の違いはやはり他者と比べているか、いないかです。

絶対評価」の場合は他者と比べていないのに対して、
相対評価」は他者と比べることによって初めて付けることができます。

学校の成績がなぜ「絶対評価」に変わったかと言うと、
このやり方では個人の努力が報われない側面があったかというのが一つ挙げられます。

なぜならテストでたとえ98点を取ったとしても「相対評価」であった場合、
全体の上位7%に当たる生徒が皆んな100点を取ってしまい成績「5」のカテゴリには入ることができなかった・・・という事も起こり得るからです。

さすがに98点というほぼ100点のような点数を取ったのにも関わらず「5」の成績が付かないというのはなかなかショックが大きいことでしょう・・・。

逆に「絶対評価」であったならその生徒にもめでたく「5」を付けることができます。学校教育の観点から言えば成績「5」を付けるのに相応しい結果を出したのであれば制限を設けずに評価するべきだという意見が強かったのでしょう。

このように我々は現在では学校教育の段階で「絶対評価」という「個人の能力がどれだけあるか?」に重点をおいて評価されて、しっかりと努力をしてきた・テストで基準値を満たす点数を取ったのならそれ相応の成績を与えられたわけですが、

そのような感覚で取り組んでしまったら上手くいかない世界も存在するということです。

その一つに冒頭、申し上げた「俳優・声優」の世界があるわけですね。

そもそも学生を卒業して社会に出れば、どちらかと言えば「相対評価」のように他者と比べられて評価されることの方が多いかもしれません。

誰もが憧れる企業には当然、入社希望者が殺到します。全国から優秀な若者が集まって来ることでしょう。東大や慶應、早稲田出身の卒業生もゴロゴロいるはずです。

そんな人達と渡り合って、比べられて内定を貰わないといけないのです。その熾烈さはこれまで経験のないものであるはずです。

が、まだ同じ年代の人達と比べられるのならかわいい方かもしれません。

俳優・声優を始めとしたエンタメの世界、または「個人事業」の世界では「新人」とか「ベテラン」とか隔たりなく比べられてしまうところです。

私が俳優・声優を目指していてもう一つしていた勘違いとして、
事務所に所属さえすればその内、活動が軌道に乗って食っていけるようになるんじゃないか?です。

それだけ事務所に所属できた=プロとして認められたという価値ある認識だったのですがどうやらそうでもないらしい、それはなぜなんだ?となった時にここでもこの「相対評価」が関わっていることに気がつきました。

先に申した通り「相対評価」というのは予め割合が決められています。

上位7%」に成績5が付く、「上位10名」を合格とするなど・・・。

どんなに高い点数を取っても全員に「5」を付けることができない、合格させることが出来ない世界なのです。

なら同じように全員がやりたいことに専念して生活できるだけの稼ぎは得られないことを意味します。

声優として活動をしている人はフリーやインディーズ界隈で活動している人も入れたら約1万人はいるとされています。

これまで述べた「相対評価」の基準に当てはめたらその1万人の中から生活できるだけの稼ぎを得られるのは例えば「上位7%」と言うことが出来るわけです。

上位7%」ということは700人です。1万人中700人しか理想とする活動をすることができないのです。(実際はもっと少なくその半分以下の300人くらいじゃないか?とこの業界では認識されている)

しかもこれは「新人」「ベテラン」全て含めてこの人数なのです。その年に声優を目指した人の中からではありません。同世代と比べられるならまだかわいい方と言った理由はこれです。

つまりその数少ない枠には既に山寺宏一さんやら田中真弓さん、高山みなみさんといった数々の超人気作品に出演している大ベテランで埋められていると言えて、そんな歴代の強者たちと比べられて評価されるのがこの世界なのです。

この実態を知った時はさすがに震え慄きました。
実力が認められたら、事務所に所属できればとかそんなレベルではない「厳しい」の次元があまりにも違い過ぎたからです。

こんな修羅みたいな世界に社会経験も浅い上に、「絶対評価」でここまで評価されてきた若者が気軽に目指して良いわけがありませんよね・・・。

ちなみにこの世界も事務所に正式に所属できたらなど「絶対評価」という明確なある基準の下で評価されて、それを満たせば「絶対」にこの世界で食っていけるというのであればだいぶその人数は増えることでしょう。

努力はしているし、実力もプロに匹敵するくらい上がっているはずなのになんで報われない、認められない?

と感じている人は世の中にたくさんいることでしょう。

この原因こそ「相対評価」と「絶対評価」の違いに他なりません。

今の世の中の風潮といたしましては、
他者と比べる必要はない、自分の成長だけを考えよう、

という空気が強いですが、
ある分野の「成功者」を目指している人も非常に多い時代になりました。そうなってくると他者と比べられてどっちが優れているか?を選択される事も多くなってきて、報われるかどうか分からない努力を強いられることを頭に入れておきましょう。

・「相対評価」のもう一つの弊害として・・・

最後にこの「相対評価」のもう一つの弊害に触れておきます。

絶対評価」のように他者は関係なくこの基準値を満たせば全員が合格ですというものではなく他者と比較して決まる「相対評価」だとこんな事も起きてしまいます。

全体の平均点があまりにも低い場合、合格者のレベルがどうしても低くなり相応しくない人が選ばれてしまう・・・、

です。
テストで98点を取ったのに上位7%が100点を取ってしまったがために「5」の成績が付かないのはどうなのか?というのが一つ問題であると先に申しましたが、

もう一つ、逆に全体の点数があまりにも低く70点という極めて並みの点数にも関わらず成績「5」が付くことだって起こり得るが「相対評価」です・・・。

一方は98点を取ったのに成績「5」は付かず、
もう一方は70点で成績「5」が付いた・・・、

こう言われると前者はなんて不遇なんだって思いますよね💦
これはタイミングが、年が、時代が違えば全然違った結果になることだって多分に起こり得るということを意味しています。

特にエンタメ、演劇分野はそんな納得がいかない事をたくさん目の当たりにします。

なんであの人が事務所に所属できて自分はできないの!?
なんであんないまいちな作品がコンテストで大賞取ったの!?
なんであの人は人気者になれて、同じような見た目の自分はそこまでじゃないのか・・・😭

と他者と比べられた上で、なぜ自分はあの人より劣っていると評価されたのか?どうも納得できないのです。

これも一つの要因として事務所所属試験を受けた年が、コンテントを応募した年が悪かったという要因が一つあると思っています。またビジネスでは「先行優位性」という言葉があるように先に始めた人が有利になる要素があります。

事務所の事情で男性は今は足りている時期に所属試験を受けてしまった、去年は応募作のレベルが高かったが今年は低かったと・・・これによりそのタイミング次第では残念な結果になってしまったことも起こってしまうのです。

先に始めた人が有利・・・要はもしもあなたが先に始めていたらあの人との立場は逆転していたかもしれないという事です。

これは「絶対評価」の世界では起こり得ない事象の一つです。より納得しやすいのはやはり明確な基準がある「絶対評価」であることでしょう。

絶対」という言葉にはある種、いかなる理由、事情においても変わらない不変的な意味があります。

対して「相対」という言葉には他者との関係性や、比べる事によって成り立つものなのでその都度、変化するものです。

相対評価」である世界においては時代、タイミングによっても評価は変化するものだということも受け入れていきましょう

では今回は以上になります。ここまでお読みいただきありがとうございました。

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