今回は実践編③ということで、
「内面的アプローチ」と「身体的アプローチ」
をテーマに書いていきます。
この記事を読む事によってご自身に合った演技法とは何なのか?が掴めるきっかけになると思いますので是非、最後まで目を通してほしいと思います。
この二つの違いとは?
さて、この二つの言葉を聞いてもしかしたらなんとなくこういう意味なのかな?と想像できる方もいるのではないでしょうか?
このシリーズも基礎編から始まり今では全てのカテゴリを入れると20記事以上の数を書いていますが、その記事の中で似たような言葉があったと複数の記事を読んだ方は思っているかもしれません。
特に台本分析編の「台詞の変化」というタイトルの記事には「内面的アプローチ」「身体的アプローチ」について実は軽く触れています。
そこでは、
内面の、心の変化を重視して演技をする、
外見、身体を意図的に変えてその姿勢、体勢から生まれる感情に沿って演技をする、
と、要約すればそういった事が書かれているのですが、これは演技をする際にどちらからアプローチをかけていくか?と選択肢があると捉えられますよね。
ではその二つの違いを解説していきましょう。
内面的アプローチ
おそらく誰もが演技を始めたら無意識にこちらの方を選択していると思います。
ただ間違った解釈と言いますか、やり方として・・・、
この台詞に込められている感情はこれだ。だから役の気持ちはこうだとめいいっぱいその感情を台詞を言いながら表す。
「私は今、こういう気持ちです、感情です!」
と、まるで主張しているかのように台詞を言うのは一度は聞いたことはあるかもしれない俗に言う「説明的な演技」です。初心者がやってしまいがちなものですね。
学校の文化祭とかの場であればお好きに演じてどうぞと言いますけど、このブログではそんな演技はしないでくださいときっぱり言わせてもらいます。
このような演技はもしかしたら本人は気持ち良いかもしれないけど、観ている側からすれば煩わしかったり、ひいてしまう場合もあります。
せいぜい「頑張って演じているな〜」くらいでしょうね、好意的に捉えてくれるなら。
しかしそんな「頑張って演じているな〜」程度の感想しか貰えないのならお客さんからお金を取って舞台を上演する事は難しいでしょう。
もっと上のレベルを目指すのなら修行のような、それ相応の訓練が必要です。
では、正しい手順を踏んだ内面的アプローチとは?
と、それが気になるところでしょうが、これを語るにはこれまで書いてきた事がしっかりとできている事が前提です。
特に台本分析、その役の、
「超目的」「小目的」
そのシーンでの与えられた状況
ここはどこなのか?時代は?時間帯は朝、昼、夜?
相手役との関係性(ステータス)
役のキャラクター、人間性
演技の基礎はリアリズムというのもお忘れなく。
・・・などなど立ち稽古に入る前にしっかりと決めておくべき、準備しておくべき事が整っている上で演技をするというのはこの実践編のカテゴリ最初の記事で書いた通りです。
その埋めるべきものを埋めないとその役に特化した素晴らしい演技というのは生まれないと思うわけですが、ここでは最後の仕上げとして、このような事を意識して、それを腹に落とし込んで演じればきっと上手くいくはずだというのを書いていきます。
感覚・感情の再現
おや、ここで基礎編の記事のタイトルとほぼ同じ言葉が出てきましたね。(「日常、感覚の再現」参照)
この記事では俳優とは役の日常を再現するのも仕事なので、先ずは自分の日常を観察してそれを人前で演じてみよう、
また食器などの小道具を使わないでエアーでやる意図として、演技は舞台上には無いものを有ると思って演じる事が多いのでその時の感覚を再現するのも目的だと書きました。
その手助けとして、可能なら実際にそれを体験したり、見たりしてその時に感じた事を記憶しておくとも。
この要領が内面的アプローチの入り口と言えるでしょう。
これを応用して演技に生かすのなら・・・、
役が体験した、経験している事を俳優自身も体験するのが望ましいとまで言えます。
そしてその体験、経験で得た感覚、感情を舞台上で再現すればいいと。
が、そんな事は現実的に考えて不可能です。一つか二つくらい体験できれば良い方かと。
なぜならこの辺もちょろっと書きましたが、
・役の職業が新聞記者なら俳優も新聞記者の仕事を経験しないといけないのか?
とか他にも・・・、
・役の両親は亡くなっているが、俳優自身の両親は健在の場合は?
などきっと挙げればたくさんの、これを本番までに実際に体験、経験するのは無理だという役の背景が出てきます。
ならそういう場合は何で埋めれば良いのか?と言うとやはり・・・、
自身が体験した、経験したものから引っ張っていくしかないのです。
俳優や声優はとにかく色んな経験、体験をするのが大切と言われるのはこういう時のために引き出しを多く持っておくべきだからと言えるでしょう。
どうやって自身の体験、経験を役の演技に反映させるかと言うと・・・、
分かりやすいのは両親を亡くした時の悲しみは経験した事がなくても、祖父母や親しい友人が亡くなっているなら、本質的にはその時にも似たような感情が湧き上がっているという発想を持てば良いのです。
そう、外見は違っても中身の気持ち、感情の部分は同じ性質、似たような事があるという事に気がついてほしいのです。
自分を育ててくれた両親と同じくらい亡くなるのが悲しい人って言われても・・・なんて思うかもしれませんが逆にこんなパターンはどうでしょうか。
父親が憎くてしょうがなく台本のどこかで、その父親を殺してしまうシーンがある役が回ってきた時にはあなたはどうしますか?
これは、俳優としては父親には自分を育ててくれて感謝しているが、役は殺したくて憎い、このギャップをどう埋めれば良いのか?と言われたら・・・、
対象を別にするしかないと思います。
父親ではなく、かつて憎しみの感情が湧き出た相手を探して、その時の事を思い出してそれを演技に反映させるしかないです。
例えば学生時代に自分をいじめた同級生、かつてのバイト先でサービス残業を何度もさせた店長など「ふざけんな」とか「悔しい」とそんな思いをさせられた相手の事を思い浮かべるという事です。
こう言えば、もう何かで代替して役と同じ心境に近づいていくしかないと割り切る事もできるのではないでしょうかね。
役は野球で努力ではもうどうしようもない壁を痛感してプロにはなれないと悟ったという「悔しい」気持ちは、
きっと他のスポーツをやる過程でも同じ気持ちを経験する事ができるはずです。
それこそスポーツの経験がある俳優が、
「俺もサッカーやっていた時、めちゃくちゃ上手い人が中学の時に居て心折れたからこの気持ち分かるわ」
と共感できる部分があればそれは、
「スポーツを経験しておいて良かったね」と言えるわけですから繰り返しになりますが俳優、声優など役を演じるという人達は色んな経験をしておいて損はないのです。
それこそ「悲しい」「悔しい」「寂しい」といった一般的にはあまり経験したくない感情も俳優、声優ならそれさえも直接的に生かす事ができる数少ない職業なのです。
これと同じように新聞記者の経験は無くても、締め切りを意識しながら何か文章を書いていた経験と言えば、
大学生時代の論文やレポートを書いていた時だなと、外見は違くても本質的には似たようなものを探してそれを演技に反映させていきましょう!
ここで注意してほしいのは似ているかもしれないけど、軽すぎるという場合もあると頭に入れておきましょう。
上記で挙げた例でも確かに心情的には近いものがあるだろうが役は社会人として仕事でやっているのに対し、その代わりが学生時代の勉学です。
立場的にも社会的責任という意味での重圧は当然、前者の方が重いでしょうから役は切羽詰まって記事を書いているなら、こちらも書き終えないと卒業ができないくらいのプレッシャーの下、書いた経験くらいは欲しいかもしれませんが、そこはもう台本次第と言えるので、これでなんでもかんでもOKだと思わず、役の状況に対して軽すぎないか?という視点は持っておきましょう。
では前編はこのへんで、後編へと続きます。
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