【演技の基礎】「リアリズム」演劇でも日本はガラパゴス化現象

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今回はここまで書いてきた演技のエクササイズ、訓練法はどこから来ているのか?その出処についてお話ししていきたいと思います。

これを読む事によってなぜ日本の演劇教育は未熟だと言えるのか?その原因なんかも見えてくるかもしれません。

自分はどこから演技を学んだのか?

人間、何かを教える時に自身もやってきた事、教わってきた事「以外」のことを他人に教えるなんて事はそうそうしないと思います。

自分もこうやってきた、教わってきて、かつ良いと思ったから他人にもそれを元に教える、これが基本だと思います。

ということはわたくしも今までこんな事をやってきた、教わってきた事を元に幾つかピックアップして今、こうしてブログで伝えているわけです。

独学ではなくちゃんとした所から教わってきたのでその点はご安心ください。だから「本物の演劇教育」なんて豪語できるのです。

王立演劇学校(通称 RADA)

イギリス・ロンドンにある演劇学校です。こちらの学校で講師をしていた方をお招きして日本でワークショップが開かれていた時期があります。(通訳を付けて)

王立演劇学校(Wikipediaより)

この王立演劇学校は入りたいと希望する人が試験が行われる度に2千〜3千人の間くらいの人数がいてその中から男女20名弱しか入れないというまさに俳優としての資質ありと認めらてた人しか入れない学校と聞きました。おそらくイギリスに留まらず世界中から受験者が集まるのではないでしょうか。

わたくしもそれに参加してイギリスで行われている演劇教育に触れて大いに刺激を受けました。

前回の記事「ディスカッション」はこのワークショップで大変、重要視していた印象があり、自身も講義を受けるのが楽しくなったという経験からこれは取り入れた方が良いだろうと判断した次第です。

このような時間は日本ではあまり馴染みがないとも記した通り、ここまでのエクササイズはヨーロッパ由来、派生だからだと思います。

日本ではあなたはどう思っている、考えている?など「個」というような点は大事にしない場合も多いですが、ヨーロッパはその逆の発想で演劇教育のみならず学校教育を行なっているのはよく聞く話ではないでしょうか。

スタニスラフスキー・システム

噛みそうでかなり言い難い名称ですが、主にこれから教える事ではこのスタニスラフスキー・システムが根底にあります。

スタニスラフスキー・システム(Wikipediaより)

コンスタンチン・セルゲーヴィチ・スタニスラフスキー

はい、もう読むのも嫌になる名前ですね 笑

が、ロシア演劇を代表する人物で、モスクワ芸術座をつくった一人になります。彼の名前からこのシステムはきています。

モクスク芸術座といえば、RADAと同じようにここの講師も招いてワークショップが開かれた事があり、こちらにも参加しました。

つまりヨーロッパからきた演劇教育

これらから教わってきた事を元に教えているという事です。

イギリスといえばハムレットの「シェイクスピア」

ロシアといえばかもめの「チェーホフ」

やはり演劇といえばこの偉大な劇作家が生まれた国なんでしょうね〜。

ちなみに日本の演劇といえば「歌舞伎」になります。

歴史を辿ればそうなるわけですが一般人がイメージする『演劇』はこのヨーロッパからきた演劇スタイルが日本に伝わり浸透していったのが始まりと言われるので、やはり歌舞伎役者ではなくいわゆる一般人がイメージする俳優になりたいのであればこのヨーロッパで行われている演劇教育を受けるのが望ましいのです。

おそらくここからきたものに少なからず影響されて日本人講師の方達も教えているとは思いますが、それを全ての人が正しく理解しているかはまた別の話です・・・。

リアリズム

洋もの映画、ドラマを観るとたまに殺人シーンがエグすぎて思わず目を閉じたくなるようなシーンはないでしょうか?

フィクションなんだからそこまで生々しくする必要ある?なんて思うかもしれません。

はい、欧米ではその必要があるのです。

リアリティを求めるのがあちらのお国柄なので。

つまりここでタイトルの「リアリズム」

その話になるわけすが「リアリズム」の言葉の意味は、

現実主義、写実主義

演劇に特化すると・・・、

生活がそのまま正確に、人間たちがそのまま正確に、誇張もされず表現されること。

といった感じでしょうか。

リアリズムとか関係なく演劇とは人々の生活、人生の一部を伝える媒体なんだから、そこはもう鉄則でしょなんて言う人もいます。

「日常の再現」「ステータス」の記事で書いたように実際に我々の生活の中で起きている出来事を例にして、こういう事ですと解説してきましたが全てはこの理念があるからです。

これがちょっとでも「誇張」されている、リアルじゃないというのはコメディー、コント、ミュージカルなんかが良い例かもしれません。

でも今の芝居、あんまり良くない、この作品面白くなかったと思う時の理由って「信じられない、嘘っぽい」「都合が良すぎる」というのがけっこう占めると思っています。

納得がいかない、つまりリアリティーがないと言ったところに行き着くのではないでしょうか。

ここまでの域に達するのならそれ相応の過程を積み重ねないといけないのに、それをすっ飛ばして、手を抜いて早く美味しいシーンに持っていきたいという意図が見え見えだったり、なんでそうなるのか理由、動機が分からないなど、観客に納得させないと拍手はもらえないと思います。

どんな奇想天外な世界観でそういう意味でのリアリティーは無かったとしても、その中で行われるやり取り、事件には必然性、納得できる理由、動機を盛り込まないと、制作者側の自己満足だけで終わる作品になりかねないので、そこは疎かにしてはいけないと思います。

そのためにはやはりベースになるのが今、自分が生きている世界では何が起きているのか、行われているのか、そこに着目して作品、演技に反映させるべきではないでしょうか。

まとめ

世界的にみればリアリズム、リアリティを求めて演劇のみならず芸術活動を行なっていると伝えたいのですが、

が!

・・・とは言ってもこの日本でこの「リアリズム」が根付くのは難しい側面もあります。

なぜならこの日本ではその「誇張されたもの」で溢れているからです。

代表的なのが「漫画」「アニメ」です。

この二つのジャンルには現実には有り得ない描写がたくさん見受けられます。物語の展開という意味ではなくキャラクターの表情であったり、髪の色、アクション、リアクション。コロコロコミックのギャグ漫画や目がキラキラした少女漫画なんかを想像してみると分かりやすいかもしれません。

逆に欧米なんかは人間も動物も漫画的な表現ではなく、かなりリアルに描かれている場合も多いと思いますので、そういう眼で比べてみるのも面白いかもしれません。

そんな壮絶な、リアルではありえない可愛い画に合った声を当てるとなると、どうしても誇張、大げさに、無理して変な声を作ってまでやる必要性が出てきます。

そういう意味ではアニメキャラクターの演技に関しては日本の声優さんの方が上手いなと思うのも事実です。日本で作られたアニメを海外の人が声を当て直したのを観た時はそう思いました。

日本に生まれたら漫画、アニメと言えば幼い頃から触れるものでしょう。だから僕なんかも最初はアニメ声優になりたいと思いました。それをみて育てば、その影響は少なからずある、そんな人達が演劇を始めたらそんな影響が出てしまうのも無理はないのかもしれません。

アニメのアフレコならもちろん良いですが、それが実写の舞台をやりたいと思っている人達にも見られるという話です。

そういう演技を生身の人間が演じる舞台、映画でやったら違和感半端ないと思われます。

「漫画」「アニメ」と言えば日本の作品の事を指すくらいなのでこれは日本が世界に誇れる文化なのはもう周知のことです。

大げさな演技と言えば先ほど言った「歌舞伎」もそうかもしれません。これも、もはや「歌舞伎」という一つのジャンルと言って良いくらい独立したものとなっております。

そういうお国柄なんだと思えば無理に「リアリズム」を浸透させなくてもよくて、これを売りにして今後もやっていけば良いかなとも思ったりもしています。

でも、そうなると最近のアカデミー賞の主要部門で隣国の韓国映画が受賞したり、2年連続でアジア系監督が監督賞を受賞していますが、ではこれに日本も続けるか?となるにはなかなかハードルは高いと思います。ポテンシャルはあると思いますが。

それにはもっと日本全体の演劇レベルを世界基準に塗り替える必要がありますね。それこそもっと身近に『本物』の演劇、教育が触れられる環境にならない限りは。

日本の演劇教育が未熟で時に「専門学校はしっかり教えろ!」という演出家の嘆きが聞こえてくるのはこういう求められている事と、教えている事が噛み合っていないのも原因なのかもしれません。

しかしそれは逆に日本の特徴、お国柄の一つだとも言えるのでこのまま日本独自に発展していく道もありかなとも思うので全てを否定する気はありません。

では今日はこのへんで。最後までお読み頂きありがとうございました。

 

 

 

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